望遠鏡の整備と並行して、中村要氏についても調べ始めました。まず、「中村要と反射望遠鏡」(冨田良雄・久保田淳著、かもがわ出版、絶版)を入手しました。
中村要(かなめ)氏は、1904年4月1日、滋賀県の旧家の生まれです。中村氏は、同志社中学卒業後、第三高等学校(現京都大学)の入学を志すも叶わず、そのまま京都帝国大学宇宙物理学教室に無給の志願助手として勤め始めました。18歳の時です。その後、亡くなる1932年までの約10年間、天文学者として、超人的な働きをしました。微光流星、小惑星、火星、変光星、彗星、太陽、そして反射鏡研磨。中村要氏の資料は、京都大学学術情報リボジトリにたくさん残っています。
私は、中村要氏が反射鏡研磨をしていたことは、全く知りませんでした。資料を調べると、山崎正光氏に次ぐ反射鏡研磨のパイオニアで、木辺成麿氏(反射鏡研磨の名人として名高い)の師にあたる人物であることが分かりました。残された放物面鏡は238面、平面鏡は350〜400面、レンズは15〜20個です。
中村要氏の光学ノートが、ダイニックアストロパークに残されていることが分かりました。ダイニックアストロパークに、No.44反射鏡についての情報を教えていただきたい旨をメールしました。しばらく経って、丁寧な返信とノートの該当ページの写真が送られてきました。
「44号 NKM 1927 F=1422 K.Nakamura maker kyoto
6” Good image nearly well polished 1928 Oct good surface」
(参考文献)
中村要と反射望遠鏡,冨田良雄・久保田淳,かもがわ出版,2000
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