2022.04.08 12:14伊達資料の精査 manami.sh様のコメントや天文古玩様のご紹介のように、故伊達英太郎氏が遺された資料は、戦前の日本アマチュア天文史を語る上で、たいへん貴重なものです。 そこで、改めて伊達資料を精査し、時代を追ってご紹介していきたいと思います。 伊達氏の天文蒐集帖I ,IIは失われています。Ⅲには、1932年(昭和7)9月〜1934年(昭和9)2月までの資料が残されています。 伊達英太郎氏天文蒐集帖Ⅲの最初にあったのが、中村要氏逝去(1932.9.24)の新聞記事でした。記事の内容から、昔は故人の尊厳という意識がなかったことが窺えます。
2020.05.02 08:09反射鏡とハイゲンス接眼レンズ 前回に引き続き、天文研究会・天文同好会大阪南支部(伊達英太郎氏主催)の会報「THE MILKY WAY(1)」(1932年[昭和7]4月20日発行)に掲載された、中村要氏の「反射鏡とハイゲン接眼レンズ」をご紹介します。 オルソスコピック接眼レンズが高価なため、ハイゲンスやミッテンズエーハイゲン、ラムスデン等の旧式なレンズ構成の接眼レンズが主流だった時代の、反射鏡製作者の苦悩がよく分かる文章だと思います。 これも、中村要氏の最晩年の貴重な文章です。「反射鏡とハイゲンス接眼レンズ」 &nb...
2020.02.02 06:07中村要氏の観測帳 中村要氏が亡くなったのは、1932年(昭和7)9月24日でした。中村氏は、亡くなる直前まで、「天界」(天文同好会会誌)に、毎号「観測帳」を連載していました。 「天界」1932年1月号から、連載最後になる9月号までを振り返ります。毎号の「観測帳」には、注目すべき天文現象が挙げられています。そして、「観測帳」の最後には、中村氏の近況が書かれています。足跡を辿ってみたいと思います。(1月号) お断り 編集者の都合で12月号に出るはずのこのページが1号遅れました。編集者の方でも、今後は毎号出して下さるはずであり、筆者も段々面白い材料を提供したいと思います。(2月号) 光学研究室より 去る10月(1931年10月)完成した大研磨機は、12月6日に初仕事をした。...
2018.04.24 04:28天体写真術 中村要氏は、天文学者として、多岐にわたる方面に業績を残しています。1921年(大正10)から、亡くなる1932年(昭和7)までの12年間に、流星・彗星・変光星・火星・小惑星(京大では小遊星)・天体写真・反射鏡研磨等の研究を行いました。それぞれの分野の日本におけるパイオニアの一人であり、今回ご紹介する天体写真術においても、当然日本の第一人者でした。 中村要氏の著書は、5冊あります。その中の1冊は、著者が逝去してから、山本一清氏と木辺成麿氏が編集し出版したものなので、存命中のものは4冊になります。「天体写真術」の「はしがき」が書かれたのは1932年6月です。亡くなる4ケ月前でした。これが、最後の著書となりました。 内容は、第1章「天体写真術」第2章「天体...
2018.02.24 02:50中村要氏について 望遠鏡の整備と並行して、中村要氏についても調べ始めました。まず、「中村要と反射望遠鏡」(冨田良雄・久保田淳著、かもがわ出版、絶版)を入手しました。 中村要(かなめ)氏は、1904年4月1日、滋賀県の旧家の生まれです。中村氏は、同志社中学卒業後、第三高等学校(現京都大学)の入学を志すも叶わず、そのまま京都帝国大学宇宙物理学教室に無給の志願助手として勤め始めました。18歳の時です。その後、亡くなる1932年までの約10年間、天文学者として、超人的な働きをしました。微光流星、小惑星、火星、変光星、彗星、太陽、そして反射鏡研磨。中村要氏の資料は、京都大学学術情報リボジトリにたくさん残っています。 私は、中村要氏が反射鏡研磨をしていたことは、全く知りませんで...