「星との出会い」
石岡繁雄氏(旧姓若山,1918-2006,アメリカ・カリフォルニア州・サクラメント生まれ)が製作した13cm反射望遠鏡や観測施設の写真は、伊達英太郎氏天文写真帖の中でも異彩を放っていました。また、石岡氏について調べれば調べるほど、その凄さに圧倒されるようになりました。
私は、石岡繁雄氏と、「世界で最も偉大なアマチュア天体観測家」と天文学者のH.シャプレーが称賛した、L.C.ペルチャー氏との間に多数の共通点を見つけました。
石岡氏の観測施設は、土台・スライディングルーフ式観測小屋・赤道儀・モータードライブシステム・鏡筒・反射鏡等、全てが石岡氏と弟達による手作りです。
L.C.ペルチャー氏(1900-1980)は、アメリカ・オハイオ州・デルフォス生まれ。アマチュア天文家として、生涯に彗星12個と新星6個を発見し、10万個を超える変光星の観測記録を残しました。上は、ペルチャー氏が自作した、彗星観測用の回転式観測所。ハンドルを回すと、観測所と望遠鏡が同時に回転する仕組みでした。
石岡繁雄氏が、旧制中学2年生(13歳)の時に描いた博物帖の絵です。13歳の少年の作品とは信じられないほどの画力と精巧さです。
ペルチャー氏も絵がとても上手でした。
石岡氏が星と出会ったのは、1938年(昭和13)3月、木曽駒縦走中のことでした。その時の様子を、石岡氏の文章から引用します。
「私が初めて星座を教わったのは昭和13年3月の木曽駒縦走中のことだった。先輩(ビルマで戦死)と二人、遅れた隊員を待とうと大きな石の上に横になっていた。谷底から眺めた狭い視野の中にいくつもの星が雑然と散在していた。私にはただそれだけのことで、いつもよりも数多く見えるのかどうか、それすらも見当がつかない。ただ平地で見るよりは、はっきりして綺麗だなぁ、と思っていた。そこには思い出もなく、懐かしみもなく、ましてや憂いも喜びも感じようがなかった。先輩は星座を教えてやろうと言って寝転んだまま「あのピ-クとこちらの岩の端を結んで、その中程のちょっと青みを帯びた星が…」という調子で説明を始めた。私は半ば疑いながら先輩の言うとおり目を動かしていくうちに、いつのまにか奇妙な形が浮かび上がってきた。「どうだ、それがカシオペアだ。エチオピアの王妃が椅子に腰かけて逆さになっているように思わんか」と言われても、どう見てもそうは思えない。先輩が付近の更に小さい星をくっつけては無理に頭だとか足だとこじつけていく。そのうちに私は思わず感嘆の言葉をもらしてしまった。次に小熊、それからセフェウスと雑然としていた星の群れが驚くべき微妙な形に出来上がってゆく。いつのまにか目に見える星は何かの星座に入ってしまい、先輩の話はそれらに関するギリシャ神話に発展していた。その頃になってはじめて私は、先刻まで眺めていた光の点の中にエチオピアの王様や王妃を想像してポカンと眺めていたのである。砂粒だと思っていた手の中のものが、いつしか燦然と輝く宝石に代わっていたという感じであった。(中略)星座を知っている喜びは、知らない人の如何なる想像よりも大きいと思う。しかも星座が動くことの変化と、四季の変化のため、思い出はその時の人間の感情によって異なり、趣は年とともに新たとなり限りない懐かしさを覚える。(中略)しかし、ナントいっても忍耐力が大切だと思う。でも、その努力は希望そのもので、山恋うる読者は必ずや星座の喜びを全幅感得されることを信ずる。少数の人間のみが楽しむには余りにも贅沢だといわれる星座の宝庫へ、是非扉を自らたたいて入られんことを祈る次第である。」
(引用:岳人のための天文学,石岡繁雄,岳人,昭和26年8月1日)
ペルチャー氏の星との出会いも鮮烈でした。
「新しい考えが突然ひらめいて、『どうして今まで思いつかなかったのだろう?』といぶかしく思った経験は誰しもあるにちがいない。15歳のある5月の夜、前庭に突っ立っていて、そんな新しい考えがひらめいた。(中略)その時、文字通り澄み渡った空を眺めて、唐突に私は自問していた。『どうしてあの星のうち、一つとして知った星がないんだろう?』
その後、ペルチャー氏は、『星との出会い』(マーサ・エヴァンス・マーティン著,「The Friendly Stars」)を読みながら、1年間星を観察し続けます。
「星と知り合いになるのに一年かかった。徒弟時代としては長かったかもしれないが、結局は単なる星の名前や位置以上のことを学ぶことができて、十分価値があったと思う。一つ一つの星に努力が要求された。それぞれに計画が要り、観察が要り、予測が要った。それぞれ、場所や時間や季節を思い起こさせてくれる。今や一つ一つの星が個性をもっていた。星は、一言でいえば『私の』星になったのである。(中略)星を見つけることは純粋な喜びであり、楽しい方法がいくらでもある。天体観測家なら星座を知らずに終わることはありえない。それが望遠鏡を通してではなく自分の目で見ることから始まったなら幸運である。」
(引用:星の来る夜,L.C.ペルチャー著・鈴木圭子訳,地人書簡,1985)
(引用)
石岡繁雄の一生HP,「綺羅星の章」
石岡繁雄の一生HP,「若葉の章」
岳人のための天文学,石岡繁雄,岳人,昭和26年8月1日
星の来る夜,L.C.ペルチャー著・鈴木圭子訳,地人書簡,1985
(石岡繁雄氏の貴重な資料の使用に関して、ごニ女の石岡あづみ様に、ご承諾をいただきました。心より感謝いたします。)
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