清水真一氏とポートレート写真(終)

10cm屈折赤道儀 清水真一氏慧一氏 山本一清氏 柴田淑次氏 木辺成麿氏 

 「1933年(昭和8)12月始改装 清水氏10cm 屈折赤道儀」

 「昭和10年3月20日来台の山本一清博士 21日◯撮影」

 「昭和10年6月16日嵐山にて 柴田淑次氏撮影 清水生 之はネジが緩んで居た為かと ピンボケになって居ます」

 「昭和16年6月16日 柴田淑次氏と嵐山に自遊 清水生写 ドーモ嵐山ロケの節撮影といいたくなります 天文学者と見えますか」

 「昭和10年6月18日 木部(辺)観測所にて 清水生写」

(資料は伊達英太郎氏天文写真帖より) 


中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

1コメント

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  • manami.sh

    2025.06.09 11:36

    清水氏の写真、葉書とも貴重な資料ですねぇ。 判読していただき、内容がわかって興味深いです。 Comet Cosik Peltierですが露出70分と記されていました。 (大阪天文研究会「銀河」第3巻第2号 S14.3) 大変だったと思います。 伊達氏の住所、兵庫県雲雀丘ですが、 北緯34度49分 海抜60mという記載がありました。 「南中を過ぎたカノープス」(S13.2.21)という写真の説明にあります。 宝塚市なのでしょうが。 兵庫県雲雀丘と記すだけで届くというのも、すごいと思います。 それだけで届くという、そういう時代だったのかもしれませんねぇ。