荒木 健児氏(1)

倉敷天文台主事・東亜天文協会黄道光課長

 荒木 健児氏(1902-1980)は、倉敷天文台主事や東亞天文協会黄道光課長として活躍しました。

倉敷天文台主事・・・・・ 在任1931.04-1935. 03? 、研究対象:黄道光及び月面

東亞天文協会黄道光課長 ・・・1931.03-1933.12

           「黄道光課通信」発行(月1回、多い時は4回)

               1931.03.21 第1号発行

                                                 1932.10.07 第17号「中村要氏追悼号」B4 6枚

              1933.12.04 第39号(荒木氏執筆最終)

              (ガリ切り、印刷、発行を全て一人で行った)

           「天界」に黄道光課通信(毎月)を投稿 [1]

 倉敷天文台主事の後は花山天文台に移り、1937年2月以降に瀬戸黄道光観測所に異動しました。

 「啓上 かねて御ききおよびの黄道光観測所が都合により廣島縣沼隈郡瀬戸村にたてられることがきまりましたので私こと数日中にあちらへ移る筈でございます 同地は福山市の西南にあたり 福山驛或は備後赤坂驛から約四キロの位置にあります 右ちよと御報告申上げます 敬具 一九三七年二月九日 京都市山科 花山天文台 荒木 健児 本日はご丁重に謝上げます 急に出かけることになりました」 

 上の写真は瀬戸黄道光観測所(草場 修氏撮影) 

 荒木氏は若い頃から和歌を学び、戦後は短歌の道に精進されました。

「最後の31日に郷里玉島の安原久美子夫人が来訪された。夫人は私の和歌の先生である。歌物語がはじまっているところへ、六校の東君が加はられ、にぎやかであった [2] 」

(参考)

[1] 坂元鉄馬(1981)「荒木健児氏をしのんで」,東亜天文学会,天界62(2) (669) :39-42

[2] 荒木健児(1932)「倉敷天文台通信」,天文同好会,天界12(133):202

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1968年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。FRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

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