花山天文台の46cmカルバー鏡

 この文章は、天文研究会・天文同好会大阪南支部(伊達英太郎氏主催)の会報「THE MILKY WAY(1)」(3枚目写真、1932年[昭和7]4月20日発行)に掲載されたものです。伊達英太郎氏が、同会の顧問であった中村要氏に、執筆を依頼したものだと思われます。

 中村要氏が亡くなるのが、同年の9月24日ですから、最晩年の貴重な文章です。

「花山天文台の46cmカルバー鏡」   

                        花山天文台 中村 要

 この反射望遠鏡は、現在花山に据え付けられているが、実は山本博士の私有物なのである。製造された年代ははっきりとは分からないが、大体1880-90年頃ではないかと思われ、カルバーの物としては旧式な型である。最初持っていた人は分からないが、前有者である英国の月の研究で名高いグドエーカー氏の手許に移ったのが1912年頃のことであって、同氏は素人であり、それまでは30cmカルバーを持っていた。

 グドエーカー氏は購入したものの、余り活用しなかったらしい。持て余し気味で1925年に僅か150ポンド(1500円、現在の貨幣価値で約225万円)で売り物に出して、グドエーカー氏は25cm屈折を購入した。それで、山本博士が購入されたものである。

 購入後、約1年半組み立てたまま室内に放ってあった。なにぶん約2トンもある代物だから、覗けるようにするだけで、ちょっと500円(現在の貨幣価値で約75万円)近くかかる。それが花山天文台の創立に際し、初めて据付けて使えるようになった。そして覗けるようにして使い始めると、運転時計は動くが、周期運動があってうまく動かない。再び分解して極軸を直してベアリングを新たにし、周期運動は直ったので眼視観測には使えるが、目的である写真観測にはマウンチングが少々弱く風が吹くと困るので、円屋根(ド ーム)が出来るまで今は必要がないから使わずにそのままになっている。 

 眼視観測には、実際は46cm等という大きなものは、象と相撲をとるようなもので、大きすぎて困るし、これの必要な事も今はないからそのままになっている。実際は、マウンチングを少し直したいのであるが、天文台は貧乏でなかなか思うようにはならない。この反射鏡は、元来眼視用に作られたものであって、従って写真用にするにはかなり改造しても都合の悪い点は多い。第一に微動が思ったようにならないのは困る。

 放物面鏡はマウンチング同様、英国の有名なカルバーのものであるが、作った年は分からない。ガラス材は、厚さが6cm(口径の1/8強)、重量が約22.5Kgで、あまりにも軽く(口径の割に)取り扱いやすいものではない。表面はガラス面がかなり腐って斑点があり、隅の方に鏡をセルに入れる際に誤って作った(以前より存在)約3cm半円のヒビがある。

 光学面は自分は度々見たが全く素晴らしい出来であって、鏡の中央がやや平らな以外は全く何一つの欠点もない。見事な技術上の勝利である。焦点像も焦点内外像の良い事は、10cmの第一流のものと何の差も無い。焦点距離308cm(F6.7)で、10の2/3という小位の意味らしい。

 平面は大口径鏡では一般に小さくても済むが、これも最初のは59mmで見事な光学平面である。カルバーの光学平面程、粒の揃って良いものはない。今は、もと33cmに使っていた76mmと同じ程度の光学平面を使っている。

 接眼レンズは60-600倍位まで数個あるが、寄せ集めであまり良いものはない。自分は覗く時は、自分のカルバーのを持ち出す。覗けるようになって、最初天文台の連中が見たのが土星であったが、あまりの素晴らしい美しさに驚いていた。球状星団の美しさ、星の数の多いのに一驚する。集光力は写真で僅か1分で13等星全部、1時間で17等星全部が撮影出来る位のものである。

 ニュートン式の眼視鏡は、大きすぎる時は間に合わないのではないが、高い筒先で覗かなくてはならず、口径30cm以上のものは大きすぎて始末の悪いもので、大抵一度は作ってみるが、使いにくくて大抵は放置されるものらしい。花山で眼視用にしないのも大きすぎるからなのである。専門家の観測でただ覗くのは、遊星観測の場合だけであるから、今の天文台の仕事には直接必要ない。完全に写真用に直せば、専門家にとって現代的な用途はあるが、今これを活用したいのだが費用がないためであるので、花山に来て46cmを使っていないと聞いて変に思われる方に少々弁明しておきたい。これは現在の覗けるだけの観測設備を見て下されば了解される事であろう。

 全く反射鏡による天体写真術は、素人が考えるような手軽なものでなく、天体写真術でも最高技術を要するものであるから簡単には出来ない。自分はマウンチングに元来眼視用だけに出来ているがために多少の不平を持っているが、いつも変わらない故カルバーの光学製品には全く喜んでいる。またいつか機会を得たなれば活動を始めるであろうことを予期している。

(1枚目写真:岐阜市の富田学園にあった頃のカルバー46cm反射[1928年に花山天文台に設置されて以来、山本天文台、三五(あなない)教月光天文台と転々とし、1962年に富田学園に設置されたと解説にあります。2枚目の写真:晩年のカルバー氏)

参考文献:日本の天文台,天文ガイド編,誠文堂新光社

     歴史的望遠鏡バーチャル博物館,2020.4.25閲覧

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

4コメント

  • 1000 / 1000

  • double_cluster

    2020.04.29 22:57

    @manami.shありがとうございます。まだまだ貴重な資料がありますので、丁寧にご紹介していこうと思います。息の長いお付き合いをよろしくお願いします。
  • manami.sh

    2020.04.29 12:32

    @double_clusterdouble_cluster 様 こちらこそ、よろしくお願いします。 とても貴重な資料が掲載されており、興味深いものばかりです。 お手数をおかけしますが、よろしくお願いします。
  • double_cluster

    2020.04.29 08:28

    嶋森様 ブログをご覧いただき、コメントもご記入くださり、ありがとうございます。  伊達英太郎氏は、とても几帳面な方です。写真帖やスクラップブックも、驚く程丁寧にまとめておられます。私は、中村要氏・伊達英太郎氏・木辺成麿氏などの先達から、天文家としての生き方や、人としてのあり方を学ばせてもらっています。ところで、伊達氏の月面図ですが、資料をもう一度調べてみますので、少々お時間を頂けますか。ただ、「THE MILKY WAY(2)」の中に、伊達氏の「月面名所案内」という文章と、ノルトン星図1927年版の月面図が掲載されていますので、近日中に投稿させていただきたいと思います。今後とも、記事をご覧いただけましたら幸いです。どうぞよろしくお願いします。