火星食(月による火星の掩蔽)

 1934年(昭和9)6月27日に撮影された、31cm反射赤道儀(木辺成麿氏所有、鏡面は木辺氏作、機械部は西村製作所製)国産としては、当時国内最大口径でした。機械部の費用だけで630円かかったそうです。(現在の貨幣価値に換算すると1,575,000円)

 31cm反射赤道儀の前に立つ、僧衣の木辺成麿氏(23歳頃)

 1941年(昭和16)11月2日に起こった、月による火星の掩蔽(えんぺい、月が火星を隠すこと)です。上の写真は、月の北縁から潜入中の火星です。木辺成麿氏が、1枚目の31cmカセ・ニュートン反射で撮影されました。時刻は0:29、露出は0.5秒です。

 0:31、潜入が進んだ火星です。

 1:05、月から離れつつある火星です。露出1秒

 1:09~1:10、月より出た火星です。露出は2秒

 時代はまさに、太平洋戦争開戦の1ケ月前です。困難な時代でも、このように熱心に観測に取り組まれた先達がおられたことに、敬服の念を強くしました。(伊達氏も木辺氏も、この後、大きく体調を崩されます。)

(参照:「日本アマチュア天文史」恒星社厚生閣、写真は伊達英太郎氏天文写真帖より)

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

2コメント

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  • double_cluster

    2020.05.24 11:58

    いつもコメントをありがとうございます。中村要氏の著書「反射望遠鏡」の序で、山本一清氏は、「”研磨の最終目的は天体の観察である”という正しい目標を少しも見失なかった人は、中村君の他に果たして幾人いるだろうか?研磨のために研磨する人は我が国にも、外国にも多い。しかし、これだけでは、結局、室内の技術者たるに終わる。と同時に、その技術はいろいろの形に歪められて、終には堕落する例が多々ある。中村君の技術は、しかしながら、いくら技術上に進歩しても、その技術は要するに天体を観るための貴い準備であるという信念で一貫したが故に、公私の生活上に於いて誘惑の多い世間に居りながらも、毅然として何ものにも屈しなかった。」と述べています。この教え「中村氏の信念」を木辺氏も忠実に守り、天文同好会(後の東亜天文学会)の遊星面課長として活躍しながら、鏡面研磨を続けられたのだと思います。また、西村製作所の西村新一郎氏や西村繁次郎氏兄弟も、天文同好会京星会の重要なメンバーでした。五藤光学の五藤斉三氏は東京支部長でした。中村要氏の信念は、生前も、そして亡くなってからも、脈々と受け継がれているんだなあと思います。
  • manami.sh

    2020.05.22 21:40

    写真撮影自体が、大変だったと思います。大変貴重な観測資料ですねぇ。 木辺氏は、鏡面製作だけではなく、観測家としても、すごい方だったんですねぇ。 改めて、そう思います。