上の写真は、15cm(中村鏡)反射手動赤道儀です。
これは、日食撮影用に製作された、20cm(木辺鏡)反射赤道儀(フォノモータードライビング付き)です。この望遠鏡について、「続日本アマチュア天文史」に興味深い記述がありますので引用します。
「東京科学博物館の鈴木隆信は、発明直後のアルミメッキ鏡を使って、稚内でフラッシュスペクトルの撮影に成功した。これまでの銀メッキでは写らない、短波長側を含んだこの写真は世界最初であった。これに使用した17cm対物プリズム(頂角15度)と20cm反射は、射場の注文により木辺が研磨し、西村のドイツ式赤道儀に載せた。この機械設備は次の1941年の日食に際し、水沢緯度観測所(現国立天文台水沢)の服部忠彦、平三郎が台湾近傍のアジンコート島で使用し、戦後、他の射場の設備とともに、東京天文台に移管された。」
金星と土星の掩蔽(1)でご紹介した双天体写真儀を、三重天体写真儀に改造した写真です。上に載っているのは、5 1/2インチ(138.6mm)F4.5(138.6mm)HELIARレンズ付きのカメラです。
このハガキは、射場氏が、伊達英太郎氏に送ったものです。裏面には住所等がありませんので、直接手渡されたのだと思います。裏面には、次のような文章が書かれていました。
なんとこのレンズは世界で2個だけ製作され、1個はドイツ皇帝が所持しているということです。どれほど高価なレンズだったか、想像すらできません。
HELIARにより撮影されたオリオン座周辺です。[1943年(昭和18)頃、廣瀬秀雄氏撮影]
これは、4 1/2インチ(114.3mm)F4.5(FL514.35mm)テッサーで撮影された、さそり座付近の写真です。当時の神戸・須磨の夜空の暗さが、よく分かります。
この写真儀の架台は、戦後東京天文台で流星写真のテスト機として活用されたそうです。
(参考文献)
続 日本アマチュア天文史編纂会,続 日本アマチュア天文史,恒星社厚生閣,1994,P.277,P285
(写真は、伊達英太郎氏天文写真帖より)
射場観測所があった場所を訪ねました。(2020.8.13)妙法寺川公園が北側に広がっています。当該地周辺は住宅が立ち並び、往時の雰囲気は感じられませんでした。
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