2018.09.29 12:06新撰天文エハガキ 1941年(昭和16)に東亜天文協会から発行された天文絵ハガキです。1920年(大正9)山本一清氏により設立された天文同好会ですが、1932年(昭和7)東亜天文協会に改名しています。軍靴の音が聞こえる中、より学術的に聞こえるような名称に変える必要があったのでしょう。この絵ハガキの内、ドナチ彗星の写真が見当たらないのが残念です。写真の解説の裏に、東亜天文協会の規則が印刷されています。(資料はすべて伊達英太郎氏天文写真帖より)
2018.09.15 12:01知新(ちしん)観象台3 知新(ちしん)観象台1でもお伝えしましたように、清水真一氏はダニエル彗星の再発見で有名です。感度が低い写真乾板で彗星を撮影するのはとても難しかったと思われますが、清水氏はメトカーフ法(彗星核の動きに合わせてガイド撮影をすること)を用いて、素晴らしい彗星写真を残しています。 清水氏の高い技術(撮影・現像・焼き付け)があったので、12.5等の暗いダニエル彗星が再発見されたのだと思われます。 1枚目の写真は、下保彗星とペルチャー彗星。2枚目は、パラスケボポゥロス彗星。3枚目は、WHIPPLE-FEDTKE彗星。 4枚目の写真は、L.C.ペルチャー氏の「星の来る夜」(L.C.ペルチャー、鈴木圭子訳、地人書館)の表紙です。L.C.ペルチャー氏は、生涯に12個の...
2018.09.08 03:31知新(ちしん)観象台2 今回は、清水真一氏が撮影した星雲星団の写真を掲載しました。清水氏は、当時アグファのイゾクローム乾板(DIN18°)を使用していました。しかし、富士フィルム研究所長の好意で、レギュラーエマルジョンの乾板を作ってもらい、バッキングもしてもらえていたようです。(DIN19°=ASA63°) M31(アンドロメダ銀河)やM33、北アメリカ星雲は3時間露出、M13は1時間露出、M45は45分間の露出です。M42の写真には、馬頭星雲もきちんと写っています。いずれも、高い撮影技術が要求される長時間露出の写真です。 1枚目の写真右側の人物は、知新観象台を訪れた山本一清氏。(写真はいずれも伊達英太郎氏天文写真帖より)参考文献:日本アマチュア天文史,日本アマチュア天文史...
2018.09.01 12:34知新(ちしん)観象台1 知新観象台は、故清水真一氏(1889-1986)が静岡県島田市の自宅(知新薬局)に設立した私設天文台です。伊達英太郎氏も天体写真に本格的に取り組んでいたので、清水氏とは深い繋がりがあったようです。ちなみに、知新は「温故知新」からとられた言葉です。 1920年代が、日本のアマチュア天文家による天体写真の幕開けと言われています。天体写真を撮影する数少ないアマチュアの一人が、清水真一氏でした。 清水真一氏の特筆すべき業績として、1937年のダニエル周期彗星の発見が挙げられます。東京天文台の広瀬秀雄氏の位置予報に基づき、12.5等の彗星の撮影に成功しました。1939年(昭和14)に、清水氏は日本天文学会天文発見賞を受賞しています。また、1976年(昭和51)...