2020.07.25 08:46小島修介氏(1) 小島修介氏(1916-1960)は、1933年(昭和8)、五藤光学研究所に入所しました。上の写真は、1937年(昭和12)頃、五藤光学研究所天文台内で撮影された小島氏です。 小島氏は、戦後五藤光学研究所を退職し、天象普及協会やアストロサービスセンターの設立、旭光学工業の天体部長、アストロ光学の設立等、アマチュア向け天体望遠鏡の設計や販売に大きく関わった方です。 今、全世界の天文ファン垂涎のタカハシも、かつては小島氏のアストロサービスセンターの下請け業者の一つでした。
2020.07.24 11:38中村要氏製作25cmF3.8反射望遠鏡 中村要氏は、1930年(昭和5)暮れ、生涯最大口径になった25cmF3.8(口径248mm焦点距離947mm)反射鏡を製作しています。これは、以前にもご紹介した、花山天文台の柴田淑次氏の依頼によるものです。ちなみに、柴田淑次氏は、1956年(昭和31)6月5日〜1960年(昭和35)3月20日にかけて、神戸海洋気象台の台長でした。神戸海洋気象台にあった、クック25cm屈折望遠鏡のすぐ近くにおられたことになります。 木辺氏によると、中村氏は製作に難渋し、3回やり直して仕上げたそうです。この鏡面はマウンティングと共に、後年大阪市立電気科学館へ売却され、カセニュートンタイプに改作されました。副鏡は木辺氏が作製しました。その際、木辺氏は詳しく鏡面をテストされ...
2020.07.23 06:30服部博氏の21cm反射赤道儀 服部博氏は、東亜天文協会東京支部の会員でした。また、「すばる会」(後の「川崎天文同好会」)の顧問でもありました。「日本アマチュア天文史」に、服部博氏に関する記述がありますので引用します。 「服部は当時有力なアマチュアで、東京雪ケ谷に住み、当時としては珍しい21cm反射赤道儀を持ち、蔵書も多く我々の指導者格の人であった。」 また、服部氏は木辺成麿氏と共に、紫金山天文台の60cm鏡製作のために、小糸製作所のスタッフとして指名されたという記事も残っています。
2020.07.18 01:23陸軍少将小嶋時久氏の20cmフォーク式赤道儀 伊達英太郎氏は、紀元2600年[1940年(昭和15)]記念事業として、望遠鏡と観測地についてのアンケート調査を行いました。その一環でしょうか、天文写真帖には、日本全国のアマチュア天文家や望遠鏡の写真が多数残されています。 今回は、戦災で失われた、陸軍少将小嶋時久氏の20cmフォーク式赤道儀をご紹介します。 陸軍少将小嶋時久氏(1881-1962)は、退官時は陸軍自動車学校長でした。退官してから、1937年(昭和12)に退職金を使って製作したのが、この望遠鏡と観測施設です。5枚目写真は、移動屋根式観測施設の外観です。この観測施設は、コンクリートで家の2階の高さまで柱が立ち上げられ、このコンクリート柱と接触しないように、他の部分が作られました。屋根はレ...