2021.06.26 05:441939年(昭和14)の火星スケッチ(7) 今回は、木辺成麿氏の奥様の木辺村子氏の火星スケッチをご紹介します。木辺村子氏は、ご主人の木辺成麿氏と共に、31cm反射望遠鏡を使って写真撮影も行っていました。山本一清氏が、英子夫人を積極的に観測に携わらせていたことが、木辺氏にも影響を与えたのかもしれません。 英子夫人は、山本一清氏のアメリカ留学にも帯同し、日食観測(1923年・1929年)にも加わっています。下の新聞記事は、山本英子氏が新聞社の所有する飛行機に搭乗し、1936年(昭和11)の日食観測スケッチをすることを告げたものです。
2021.06.20 06:481939年(昭和14)の火星スケッチ(6) 今回の火星スケッチは、都留繁雄氏(熊本)です。3.2cm屈折望遠鏡(50倍)で、1937年12月から1943年3月までの5年間、太陽黒点の報告をしたことが記録に残っている方です。
2021.06.19 01:241939年(昭和14)の火星スケッチ(5) 今回は、山根平三氏の火星スケッチをご紹介します。山根氏は、東亞天文協会東京支部の会員でした。また、青山天文同好会(前身は大久保天文クラブ)の中心メンバーでもありました。
2021.06.12 07:121939年(昭和14)の火星スケッチ(3) 今回は、西森菊雄氏の火星スケッチです。西森氏は、東亞天文協会大阪南支部の責任を、伊達氏から引き継いだ方です。西森氏は、東亞天文協会の文庫部長もしておられたようです。
2021.06.05 08:301939年(昭和14)の火星スケッチ(2) 上のハガキは、山本一清氏から伊達英太郎氏に送られたものです。日付は、1938年(昭和13)10月27日です。東亞天文協会遊星面課課長に任命する旨が書かれています。恐らく、次年度を待たず、すぐに木辺氏から伊達氏に課長が変わったのでしょう。 ところで、今回ご紹介するのは、樋上敏一氏(1921~?)による火星スケッチです。樋上氏は、当時京都一中(1870年に創立した日本最古の旧制中学校。現京都府立洛北高等学校・附属中学校)の学生でした。花山天文台の柴田淑次氏の指導を受け、1年生の頃より太陽黒点の観測に精進したそうです。後年、彗星の軌道計算に精通され、本田彗星の発見報告にも尽力されました。ホンダ・ベルナスコニ彗星を、1948年6月6日朝独立発見しましたが、観...