2022.08.31 04:34顕微鏡写真(1) 伊達英太郎氏は、1928年(昭和3)に、「科学少年」という冊子を発行しています。内容は天文に関することが中心でした。伊達氏僅か16歳の時です。 写真は、その後、1929年(昭和4)3月に発行した「銀河」(大阪少年科学同好会会誌)です。内容はやはり天文に関することがメインですが、顕微鏡による観察記事も多く見られます。
2022.08.24 01:301935年の月の写真 1935年(昭和10)に、伊達英太郎氏が撮影した月の写真をご紹介します。11.5cm(F9)反射望遠鏡に月撮影装置を付け、直焦点で撮影しています。撮影された月の像は直径約1cm、使用された乾板は、89mm×64mm(大名刺サイズ)です。
2022.08.23 00:21伊達氏の太陽観測(まとめ) 保管されていた伊達氏の太陽黒点写真は、1948年(昭和23)が最後でした。伊達氏が亡くなられたのが、1953年(昭和28)8月ですから、体調悪化が理由と推察されます。 今回は、太陽観測に関する写真(データ不明など)をご紹介します。
2022.08.22 03:211948年5月9日の金環日食 1948年(昭和23)5月9日、インドのカルニコバル島・ビルマ・シャム・フランス領インドシナ・ベトナム共和国・中国・韓国・日本の礼文島・ソ蓮・アラスカ準州にかけて金環日食が、アジアのほとんどと周辺の一部の地域で部分日食が見られました。 この日食は本影錐の先端が地球表面に近いため、金環帯の幅(約2Km)が非常に狭く、金環日食の持続時間(約4秒)も非常に短いことが特徴でした。写真は、礼文島で1948年5月9日11時50分36.2秒に撮影されたもので、ベイリーの数珠(月面の深い谷間から太陽のごく周縁の部分がはみ出している現象)や、プロミネンスが見られます。
2022.08.21 05:561948年(昭和23)4・5月の太陽黒点写真 戦後すぐの太陽黒点写真です。 1947年(昭和22)が、直近の太陽黒点極大の年でした。1948年(昭和23)5月にも、極大の名残が見られます。(参考文献)日本アマチュア天文史,日本アマチュア天文史編纂会,恒星社厚生閣,1987(太陽黒点写真は、伊達英太郎氏撮影)
2022.08.20 00:121944年(昭和19)9月の太陽黒点写真 伊達英太郎氏の戦前の太陽黒点写真は、今回が最後になります。昭和19年9月は、太平洋戦争終結まで1年を切った時期です。この時期に太陽黒点観測を続けることは、とても厳しいことだったと思います。写真は、今回の太陽黒点写真を撮影した76mm屈折望遠鏡です。
2022.08.17 04:271942年(昭和17)4月の太陽黒点写真 上の乾板写真は、4月11日のものです。開戦に伴う物資不足のためか、傷んだ乾板が多くなってきています。(太陽黒点写真乾板は、伊達英太郎氏撮影。)
2022.08.16 02:091942年(昭和17)3月の太陽黒点写真 太平洋戦争開戦に伴い、乾板も入手困難になってきたのかもしれません。徐々に乾板の質が低下していきます。今月の太陽黒点写真が、ベストな出来だったようです。(太陽黒点写真乾板は、伊達英太郎氏撮影。)