花山天文台急報

 東亞天文協会(O.A.A,1932年に天文同好会から改称)太陽課(幹事山本英子氏・山本一清氏夫人)から、太陽観測者に送られた観測に関する依頼状です。恐らく、伊達英太郎氏の筆によるものと思われます。当時の通信手段の最速であった、電報を用いた画期的な通信方法の説明です。

 東亞天文協会(O.A.A)太陽課は、この頃から、毎月会員個人別の毎日の黒点数などの詳細な報告を出しています。

 1932年(昭和7)、伊達英太郎氏は若干20歳。結核療養のために、雲雀ヶ丘に転地療養したのもこの年の暮れでした。

(参考文献)

日本アマチュア天文史,日本アマチュア天文史編纂会,恒星社厚生閣,1987

(資料は伊達英太郎氏天文蒐集帖3より)

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

0コメント

  • 1000 / 1000