戦前のアマチュア天文家(3)

 2枚の写真は、親里観測所で撮影されたものです。

 撮影者の西尾利夫氏(山口県)は、変光星観測や天文計算を行いました。後年、ミノルタプラネタリウムに入社しました。

 正村(まさむら)一忠氏(岐阜県岐阜市)は、1953年(昭和28)岐阜天文協会を結成し、会長として活躍しました。1971年(昭和46)岐阜天文台を作り、東亜天文学会理事も務めました。

 内藤一男氏(前橋市)は、約3000の観測を天文学界へ報告した熱心な観測者であると共に、東星会を創立し、冨田弘一郎氏らの後進を育てました。1936年(昭和11)、群馬県庁土木課に勤務し、1943年4月軍属として派遣されたマニラ沖で戦死しました。

 冨田弘一郎氏は、1947年(昭和22)東京天文台に奉職し、1985年(昭和60)まで天体捜索部にあって各種の観測に精励しました。

 若山冨夫氏の13cm反射望遠鏡と星夜カメラです。若山氏についての記述は、「日本アマチュア天文史」にありませんでした。

 飯高正義氏(東京)は、1942年(昭和17)3月15日の東星会総会に出席しています。

 後列右から2番目が飯高正義氏、後列左端が冨田弘一郎氏、前列右から2番目が浅居正雄氏、前列左端が内藤一男氏です。

(参考文献)

日本アマチュア天文史,日本アマチュア天文史編纂会,恒星社厚生閣,1987

(写真は全て伊達英太郎氏天文写真帖より)

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

2コメント

  • 1000 / 1000

  • double_cluster

    2023.02.20 08:23

    いつも詳細なコメントをありがとうございます。伊達氏は、「milky way」誌で、機材調査を企画されていたようですので、それに応える形で写真を送られた方々がいらっしゃったと思われます。それにしても、若い方が多いですね。何人の方が戦後まで観測を継続されたのでしょうか。
  • manami.sh

    2023.02.19 13:13

    今回の紹介の「戦前のアマチュア天文家」の中には、私も興味をもっていた方がおられましたので、その方達の愛機の写真を見て感じるところもあって、とても参考になりました。 藤本英男氏は戦前にヘラクレス座新星の観測もされており、観測地は秋田県秋田市保戸野愛宕町というのが知られております。 近田要氏は、明治44年生まれで、昭和4年に五藤光学から対物レンズを購入され、天体望遠鏡を自作しております。戦後も活躍されています。現在の福島県本宮市の出身のようです。 (「財界ふくしま」1986年3月号) 高井博典氏は1934年2月8日午前6時頃に自作の11センチ反射望遠鏡(185倍)でビコ山付近を観測中に黒い煙が上がっているのを発見、翌9日の朝にも認め、花山天文台に報告。当時の新聞紙上でも騒がれたことで知られている方です。銀行員と記されています。 (齋藤守弘「月は果たして生きているか?」『天文と気象』1960年11月、屑屋極道「理論物理学の錯誤」1934) 木辺成麿「反射望遠鏡の作り方」誠文堂新光社1950の中で自作の実例として一章を担当しています。 伊達英太郎氏とは、個々の方達がどういう縁であったのかは、わかりませんが、貴重な写真が残っているのは、うれしいです。 ※屑屋極道というのはペンネームでしょうが、この方については全くわかりません。出版は神奈川県です。