清水真一氏のハガキ(13)

1934年11月27日 メシエ33

 「其後御無沙汰致居候 去17日朝大阪着 箕面に参候節 御伺致さんかと存候ひ(へ)しも 午后花山へ参る豫(予)定有之 時間少き為失禮(礼)仕候 18,19日在京の旧友の東道にて洛外に*清遊 20日朝帰宅仕候 昨今とんと珍らしき天象も無之様かと 無為に過し申候 流星は或は昨年より多きかと存候も 夜中起きは本年はやめ申候 小遊星写真を始め候も 小口径にてはあまり宜(よろしく)も無之と存居候 敬具 又1月御拝眉の期を可得かと存居候 昭和9年11月27日」

*清遊(世俗を離れて風流な遊びをすること)

小遊星141番と渦状星雲メシヤ33番 1934年11月9日撮影 知新観象台

(資料は伊達英太郎氏天文写真帖より)

*崩し字の解読は、柴田哲男様(三木古文書研究会)にしていただきました。

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

2コメント

  • 1000 / 1000

  • double_cluster

    2025.05.27 23:51

    manami.shさま 貴重なコメントをありがとうございます。室戸台風についてよく分かっていなかったので調べてみました。最低気圧911.6hp,瞬間最大風速60m以上(機械の破損によりそれ以上は測定できず)、木造校舎の破損により児童生徒教員の死者多数。大阪京都の被害が甚大だったようです。伊達氏は大阪北部、花山天文台は山科(京都府東部?)。大阪南部は高潮による浸水被害が深刻でした。 「天文教育」についてのご感想をありがとうございます。秋吉利雄氏は、1941年の日食に関する資料をたくさん残されています。後日詳細を明らかにしようとされたのかもしれません。残念なことに1947年(昭和22)に亡くなられたので実現は出来ませんでした。秋吉氏の資料の有効活用が私のすべきことと考えています。今後共、ご教示をよろしくお願いします。
  • manami.sh

    2025.05.25 12:36

    引き続き、貴重な資料を公開いただき、ありがとうございます。 昭和9年9月21日の室戸台風通過時の伊達氏の状況には以前より関心がありました。 ハガキ(12)の清水氏の文面は、当時の状況を知る貴重なものだと思います。 室戸台風は、とても勢力の強い台風で、関西地方に甚大な被害があったようです。 射場氏の自動車云々のくだりは、自家用車?としても、裕福さが垣間見えるような。 早速ダウンロードした「1941年(昭和16年)の皆既日食」を一読しました。 まずは、取り急ぎ一読の感想を記しておきます。 皆既日食については、「天文月報」で知ることはできますが、細部について は詳らかになっていませんし、裏事情はなお更にわかるはずもありません。 秋吉利雄氏保存資料に拠ってこそ、事情が浮かび上がってくるものであり、丹念で 冷静な記述には好感を持ちました。 私は注が大切だと思っているので、注をもう少し読み解いてみたいですし、 当時の時代状況を併せながら再読・精読したいと思います。 精読の価値のある内容だと思っております。