2021.08.30 05:04無メッキ反射鏡による太陽写真(2) これは、伊達英太郎氏の「月写真撮影装置」です。ここにも、ソーントンシャッターが使われています。乾板は、京津赤札乾板を使用していました。
2021.08.28 07:34無メッキ反射鏡による太陽写真(1) 伊達英太郎氏(1912-1953)は、太陽黒点の観測報告を、1927年(昭和2)から1938年(昭和13)にかけて12年間行いました。同時に写真観測も並行してしました。また、プロミネンス分光器による観測を、アマチュアとして最初に行ったことでも知られています。(日本アマチュア天文史,P45) 山本一清氏は伊達英太郎氏について、「雲雀丘には口径25cmと15cmと2台の反射望遠鏡を備え、身体の調子が良い時には、昼間は太陽、夜は木星や火星の如き遊星面の観測を楽しんでいた。太陽黒点の立派な写真をたくさん撮られたし、また一時は日本ではあまり例のないプロミネンスの連続写真を行われた。」(「星と空」第37号,1957年2月号)と書いています。 伊達氏の太陽観測の記...
2021.08.23 01:471941年(昭和16)の月・惑星写真(17) 1941年(昭和16)10月28日に撮影された火星です。乾板A30。撮影時刻は23:50~55、露出2秒、フィルターNo.3、クオリティーは可〜良です。乾板はOriental.Pan-chro使用 。 木辺氏の写真乾板はこれが最後になります。
2021.08.22 03:271941年(昭和16)の月・惑星写真(16) 1941年(昭和16)10月28日に撮影された月です。乾板A28。撮影時刻は19:55、クオリティーは不良と良です。乾板はOriental.Pan-chro使用 。 1枚の乾板に、月面が2個写されています。
2021.08.21 01:381941年(昭和16)の月・惑星写真(15) 1941年(昭和16)10月28日に撮影された火星です。乾板A27,29。撮影時刻はA27は19:40-19:45,A29は21:53?(乾板には21:35とあります)。クオリティーは可と不良です。フィルターはNo.3、乾板はOriental.Pan-chro使用 。 太平洋戦争開戦(1941年12月8日)まで、2カ月を切った頃の撮影です。
2021.08.20 02:001941年(昭和16)の月・惑星写真(14) 1941年(昭和16)10月23日に撮影された火星です。乾板A25,26。撮影時刻は21:45-21:50。クオリティーは可と不良です。乾板はOriental.Hy Pan使用 。
2021.08.18 23:451941年(昭和16)の月・惑星写真(13) 1941年(昭和16)10月20日に撮影された火星です。乾板A24。撮影時刻は21:00。露出はノーフィルターは1/2秒、フィルターありは1秒?です。クオリティーは良、乾板はOriental.Pan-chroを使用 。一部3号フィルターを使用。 特記事項には、何も記入されていません。
2021.08.18 00:241941年(昭和16)の月・惑星写真(12) 1941年(昭和16)10月19日に撮影された土星です。乾板A23。撮影時刻は22:10-22:11。露出は3秒です。クオリティーは良、乾板はOriental.Pan-chroを使用 。フィルターは不使用。 特記事項には、何も記入されていません。
2021.08.17 00:081941年(昭和16)の月・惑星写真(11) 1941年(昭和16)10月19日に撮影された火星と木星です。乾板A22。撮影時刻は22:03,22:40。露出は火星1秒木星2秒です。クオリティーは可、木星は良という意味でしょうか。乾板はA.I,orthoを使用 。 特記事項には、何も記入されていません。
2021.08.16 00:141941年(昭和16)の月・惑星写真(10) 1941年(昭和16)10月19日に撮影された火星です。乾板A21。撮影時刻は21:59。露出は1秒、クオリティーは可です。乾板はOriental Pan-chroを使用 。 特記事項には、何も記入されていません。
2021.08.15 02:311941年(昭和16)の月・惑星写真(9) 1941年(昭和16)10月16日に撮影された火星です。乾板A19,20。撮影時刻は、22:30,20:40、露出は1秒、クオリティーは不良です。乾板19はA.I、20はOriental Pan-Chroを使用しています 。全体的にピントが良くないようです。 この乾板にも、奥様の村子氏の名前が見られます。