2021.04.29 07:111935年(昭和10)の木星スケッチ(1) 今回から、1935年の木星スケッチをお送りします。観測者は、渡辺(後の佐伯)恒夫氏と伊達英太郎氏です。1回目は、渡辺恒夫氏です。
2021.04.25 06:11月光環(げっこうかん) 2021.4.23、月齢11の月が夜空を照らしていました。暫くすると、薄雲が空一面に広がってきました。その薄雲の隙間から顔を出した月が、周囲の雲を怪しく光らせていました。 これは、月光環(げっこうかん、月光冠)という現象です。澄んだ空の中で煌々と輝く月に薄雲がかかると、月の周りの雲が青・黄・橙などの色に輝きます。月光環は、薄い雲の雲粒によって光の回折(かいせつ)現象が起き、色分かれしたものだそうです。(参考文献)すごい空の見つけ方,武田康男,草思社,2009,P.89
2021.04.25 03:201935年(昭和10)の金星スケッチ(2) 今回は、小沢喜一氏(こざわきいち,1918-1949)の金星スケッチをご紹介します。小沢氏は、名古屋出身のSSCyg型変光星の熱心な観測者でした。1936年(昭和11)春に15cm木辺鏡、1938年(昭和13)6月に25.6cm木辺鏡を入手、自宅の屋根にドームを作りSSCyg型星の観測に精進しました。 小沢氏が活動した時期は戦時中でしたので、小沢氏の全ての記録資料も戦災により消失してしまったそうです。ただ一つ焼け残った25.6cm反射により、1947年(昭和22)秋に病臥するまで観測は続行されました。1949年(昭和24)4月23日逝去、享年31歳でした。 ここにご紹介する写真やスケッチは、戦災を免れた、小沢喜一氏の唯一の記録かもしれません。
2021.04.24 08:011935年(昭和10)の金星スケッチ(1) 東亞天文協会遊星面課が発足(1933年)して暫くは、金星・木星・土星の惑星面スケッチも行われました。今回は、渡辺(後の佐伯)恒夫氏の金星スケッチです。 金星表面の模様は極めて淡くデリケートです。その困難な対象を根気よく描写した渡辺恒夫氏は、とても鋭眼であったことが分かります。
2021.04.20 12:15月面Xの日(2) 2021.4.19、20:30頃、月面xが見えました。中村要鏡で月を見ると、鳥肌が立つと言うか、畏怖の念を感じると言うか、何とも厳かな思いになります。(15cm反射、キャノンパワーショットS95、セレストロンズーム8-24mmコリメート撮像)
2021.04.11 07:041935年(昭和10)の火星スケッチ(8) 今回は、伊達英太郎氏の火星スケッチをお目にかけます。意外なことに、伊達氏の1935年の火星スケッチは、3枚しか残っていません。代わりに、伊達氏の機材等の写真は豊富にありますので、スケッチと併せてご覧ください。
2021.04.10 10:181935年(昭和10)の火星スケッチ(7) 今回ご紹介するのは、当サイトで六甲星見䑓(だい)としても取り上げたことのある、萑部進氏・守子氏の火星スケッチです。六甲星見䑓の機材の変遷については、カテゴリ「六甲星見䑓」に詳しく書かせていただいていますので、どうぞご参照下さい。
2021.04.04 06:051935年(昭和10)の火星スケッチ(6) 今回ご紹介するのは、1933年(昭和8)11月、東亞天文協会に新設された遊星面課の初代課員の一人である、沓掛七二氏(長野県)の火星スケッチです。 使用された機材は、中村要氏が研磨した有効径105mmのレンズを搭載した、西村製作所製屈折赤道儀です。伊達英太郎氏の写真のコメントには、「Nr.5」とあります。これは恐らく、NKOG(中村要氏が研磨したレンズの意)5に該当すると思われます。「中村要と反射望遠鏡」(冨田良雄・久保田淳,ウインかもがわ,2000)のP.223には「Nr.5」は記載されていません。manami.shさんのコメントへの返答に、「NKOG9 直径110mm 焦点距離1140mm レンズ構成achromaticに該当すると思われます。」と...
2021.04.03 08:571935年(昭和10)の火星スケッチ(5) 今回は、伊達英太郎氏ととても親しかった、笹部栄一氏の火星スケッチをご紹介します。黄道光や変光星観測にも活躍された方です。残念ながら使用機材の写真は残っていませんでした。しかし、俳優ばりの美男子だった、当時の笹部栄一氏の写真が残されていました。 スケッチが重複する日がありますが、描写が若干違いますのであえて掲載しました。ご了承下さい。