2022.05.28 09:25「SHIROGANE」号の変遷 伊達英太郎氏の最初の望遠鏡は、11.5cm反射経緯台(酒巻菊治氏研磨・中村要氏修正研磨)でした。中学生頃と思われる伊達氏です。手に星座早見を持ち、三脚前には月面写真の解説本を開いています。右側は雨の海の東部(南北が現代とは逆)、左側はコペルニクスクレーター周辺です。
2022.05.27 10:00乾板写真によるポートレート 一般的に、1935年(昭和10)が、乾板写真(ガラス乾板)とフィルム写真の転換点だと言われています。ただし、画質の点からは、決して乾板写真が劣っていたのではありません。 今回は天文とは関係ありませんが、1930年代に伊達英太郎氏がガラス乾板を使用して撮影した、人物像(ポートレート)をご紹介します。伊達氏は優れたアマチュア天文家であったと共に、優れたアマチュア写真家でもあったことをご理解いただけると思います。 掲載は、白黒を反転した画像(多少画像処理を加えています)→乾板写真の元画像→データが記載された袋(不明な場合はカット)の順です。
2022.05.25 08:538cm太陽鏡 伊達英太郎氏の8cm無メッキ太陽専用反射望遠鏡(木辺鏡)です。伊達氏の「自有天文器械」に保管されていた乾板写真です。 乾板写真をLEDトレース台で照らし、デジカメで撮影、画像処理ソフトで反転処理しました。 鏡筒先端に付いているのは、ソーントンシャッターです。
2022.05.22 06:31アマチュア・テレスコープクラブ アマチュア・テレスコープクラブは、望遠鏡の作り方をいろいろ工夫しようと、1947年(昭和22)に発足された単科学会(会長伊達英太郎氏、会誌「The STAR GAZING」)です。伊達氏が逝去されたのが1953年(昭和28)ですから、伊達氏は晩年まで、天文や望遠鏡に情熱を傾け続けたことが分かります。 戦後の一時期、レンズ類が安く放出され、割合自由に入手できました。そのことがこの会の発足を後押ししました。 原 恵氏のパロマー型望遠鏡、村山定男氏のシーソー型反射望遠鏡、海老沢嗣郎氏の木製多角筒望遠鏡、本田実氏の自作ドーム、矢崎譲一氏の16cmコメットシーカーなど独特な自作望遠鏡が発表されました。 これは、原 恵氏から伊達英太郎氏宛のハガキ(1949年[昭...
2022.05.21 08:09土星の白斑 1933年(昭和8)8月、土星面に巨大な白斑(発見者は、イギリスの有名な喜劇俳優ウィル・ヘイ等)が出現しました。土星本体の1/10位の巨大な白斑でした。これはそれを告げる、射場観測所からのニュースです。射場氏は、東京天文台から、直接外伝を受け取っていました。
2022.05.18 05:50度盛環の使い方 1933年(昭和8)に、伊達英太郎氏から尋ねられた、度盛環(どもりかん?)の使い方に関する木辺氏からの返信です。度盛環は、現在では目盛環と言われています。 当時、木辺氏は花山天文台の研究員でした。この内容は、クック30cm屈折赤道儀を念頭に書かれたものではないかと思います。太陽を基準にして、金星を導入する方法が書かれており、たいへん興味深いものがあります。 木辺氏の手紙を見ていると、間違いによる文字の塗りつぶしが結構目立ちます。後年の反射鏡研磨の達人とは違う一面が窺え、これも興味深いところです。(資料は伊達英太郎氏天文蒐集帖3より)
2022.05.18 05:29J.NISHIMURA & SONS. KYOTO 1933年(昭和8)頃の西村製作所カタログ表紙です。先日、manami.sh様から頂いたコメントにもあった、◯&SONS.が使われているカタログです。KYOTOも記入されていますので、T.COOKE & SONS.LTD LONDON&YORKに倣ったのではないかと想像します。西村製作所の「クック社のような一流望遠鏡製作会社を目指す」、そんな意気込みを感じます。
2022.05.15 06:09クック望遠鏡の細部(Cooke Telescope Details) 2022.5.13に撮影した、クック望遠鏡の細部をご紹介します。 赤緯軸のタンジェントスクリュー式部分微動装置です。赤緯目盛環の巨大さが分かります。 Here are some details of the Cooke Telescope, taken on 2022.5.13. This is a tangent screw type partial fine adjustment device for the equatorial axis. You can see the huge scale ring of the declination axis.